2021年5月。
3度目の緊急事態宣言はゴールデンウィーク明けも継続し、更に追加の地域も加えられました。
政府もメディアも、いつも新型コロナウイルスの話題がトップです。
しかし、緊急事態宣言中の2021年ゴールデンウィーク。
人流はあまり減りませんでした。
それはなぜでしょうか?
私なりにこのコロナ禍をずっと考えてきました。
誤解を恐れずに言えば、新型コロナウイルスが思った以上に大した事が無い点と、根拠も説明もあまりにも乏しいからだと思っています。
大阪は医療崩壊しかけているのに、大した事ないとは何事だ!とお叱りを受けるかもしれませんが、その辺から説明させていただきたいと思います。
目次
新型コロナウイルスが思った以上に大した事が無い?
このような「新型コロナは大した事がない」という話をすれば、医療崩壊しかけている地域や、変異株が拡大している点を甘く見すぎている!という反論もあるかと思います。
確かに現状では、私も去年の同じ時期よりも甘く見てはいけないと思います。
それは大阪における新型コロナによる死者数増加をみれば明らかです。
しかしだからといって、私は連日のようにメディアが報道したり、速報を出したりするのはやりすぎだと思っています。
去年のゴールデンウィーク。
多くの人々は自粛をしました。
私も祝日は、ここ数年必ず県外に出掛けますが、自宅で自粛していました。
去年のゴールデンウィーク、私自身は、コロナ自体は既に未知のウイルスという段階から、手洗い・換気をすれば、そこまで恐れる病気ではないと認識していました。
しかし、それでも分からない事はまだあり、東京がニューヨークのような感染爆発に至る可能性があるという報道などもあって、人々の認識も今以上に警戒していたと思います。
しかし現在はどうでしょうか?
少なくとも、変異株が猛威を奮っているとは言え、エボラ出血熱のように、致死率50%の高確率で死に至る病で無いことは、人々の認識に広がりました。
ゴールデンウィーク期間中、去年よりも人流が増えた事は、こうした新型コロナは思っていたほど大した事がないという認識が広がったからだと私は思います。
政府やメディアによる乏しい根拠、説明なき対策
政府は新型コロナが始まってから、納得できる説明をどれだけしてきたでしょうか?
反対や批判ばかりだと一方的すぎるので、私が政府の対応で良かったと思った点を2つほど挙げたいと思います。
全国一斉休校要請
突然ということで、仕事を持つ親御さんたちや現場、特に子どもたちへの影響は大きかったかと思います。
しかし、政府は、子供では重症化が起きにくいとは言え、高齢者などへの感染拡大が広がるという理由で政治決断しました。
これについては賛否も分かれる所だと思いますが、私はイザという時の迅速な決断、そのための説明という点において、当時としては良い判断であったと思います。
2020年7月のGoToトラベル前倒しスタート
2020年の7月の連休には、本当は東京オリンピックの開幕でしたが、延期が決定されていました。
そして代わりにという言い方をしていいか分かりませんが、観光事業を支援するためのGoToトラベルが前倒しでスタートしました。
これについては様々な批判もでましたが、移動自体が感染拡大につながるエビデンス(根拠)がない点や、その後の連休明けをみても感染が拡大するという自体は発生しませんでした。
私はコロナ禍の経済政策を考える上でもGoToトラベルは良かったと評価しています。
足並みの揃わなくなった政府と自治体
一方で、一回目の緊急事態宣言時には、ある程度足並みが揃っていた政府や自治体も、温度差が見られるようになりました。
特に大きかったと思われるのは、日本政府と東京都です。
東京都はGoToトラベルを10月まで除外されていました。
当時の菅官房長官(現菅総理)と小池都知事の間の確執が、そのような自体になったという話もありますが、真相はどうあれ、メディアを通じて見る日本政府と東京都の関係は険悪そうに思えます。
つい最近で言えば、3度目の緊急事態宣言の延長で、東京都にある国立施設の休業のありかたについて意見が分かれ、最終的には東京都の言い分をのんで休業する事になりましたが、メディアを通じて見ていると、まるでケンカをしているようです。
もう白鳥のように、水面下では足をバタバタさせていても、表面は優雅に泳ぐように政策調整ができなかったのかな?と思いました。
休業要請と入場制限の判断基準は?
3度目の緊急事態宣言では、その要請にいくつか議論になっている事があります。
1つの例で、映画館では休業要請されている一方、演劇では人数制限のみの要請と言う話があります。
映画は基本的には無言で鑑賞しており、飛沫感染も起きにくい上、今まで映画館でクラスターが発生した話など聞いたことがありません。
そしてもし映画館で感染が拡大するようなら、劇場版・鬼滅の刃ブームで、またたく間に感染は広がったはずですが、公開から1ヶ月たっても、爆発的感染はしませんでした。
一方、演劇のほうが役者がしゃべるなどして飛沫感染のリスクはあると思います。
もちろんこれらについても、十分な対策は取られているはずですが、そうであるなら、両方の要請に違いが生じる説明が必要です。
このような納得のいく説明をされない事に国民は不信感を持っていると思います。
政府は対策や政策の時間は十分あったはず
新型コロナが発生した当初、私は台湾のように厳しい入国制限をすれば、今のようなコロナ禍は防げたかもしれないと思ってます。
台湾はその他にも、マスクなどの医療物資を国民に適切に行き届く政策をしました。
それと比べれば、日本政府はハッキリ言って無能です。
彼らは日本の国家における、国民の生命と財産を守るのが最大の使命です。
官僚機構などは優秀な人材も多いはずです。(疑うような事も多いですが)
しかし、まだ100歩譲って、新型コロナ発生当時なら仕方がないにしても、2020年12月の新型コロナ感染拡大まで、数ヶ月近く考える余裕はあったはずです。
しかしどうでしょうか。
2020年11月時点では、外国人の入国を認めており、それが12月の感染拡大により、急に緊急事態宣言と入国制限の強化を発表しました。
その結果、変異株は既に国内に入ってしまいました。
現在問題になっている、病床確保についても、準備・調整もできたはずです。
このような事がなぜできなかったのか?
国民はこうした点にも不満を持っていると思います。
メディアは言いたい事を言うだけなのか?
政府の責任は一番大きいです。
しかし、日本は民主主義国家であり、政治家は選挙結果を何よりも気にします。
そしてその民衆の認識を事実上操っているのはメディアだと思っています。
現在のメディアもそうですが、去年から連日のように新型コロナのニュースばかりを取り上げました。
しかも、速報が必要なのか?と思う速報まで出していました。
新型コロナのニュースばかりを取り上げる事を悪いとは言いません。
しかし、内容があまりにも一方的、煽る事に偏りすぎだと思います。
新型コロナへの認識は、専門家の中でも様々な意見があります。
私には、メディアの言いたい都合の良いことのみ取り上げられていて、とても中立とは思えません。
1つの例で、ある専門家が番組出演を依頼されたとき、「このような話をしてください」と番組側スタッフから言われた時、それは出来ないと言ったら出演を断られたとの事です。
詳細は分かりませんが、専門家には専門的知見から話す事に、番組スタッフが制限を加えるのはいかがなものかな?と思いました。
また、メディアも一方的に報じるだけで、訂正や謝罪など、自らを省みることは稀だと思います。
2020年1月時点で、1000万人都市・武漢が閉鎖されたのに、のんきにこのウイルスは人から人へ感染しないと話していた出演者もいました。
メディアは政治家に反省や言動や行動を省みるように言いますが、これはメディア自身にも言えると思います。
テレビがつまらなく、若者のテレビ離れというのは、メディアに信頼が置けないからという理由もあるのではないでしょうか。
緊急事態宣言というが、本当に「緊急」なのか?
日本の緊急事態宣言、どうでしょうか。
要請ベースのみで、しかも対応策がとても緊急とも思えません。
果たして緊急事態とこれで言えるのでしょうか?
そもそも政府やメディアが説明していない点で不思議なのは、新型コロナがいかに死者を最近を多く出しているとは言え、一方で季節風のインフルエンザは激減しました。
その話をすれば、インフルエンザにはワクチンがあるが、新型コロナウイルスはワクチンが無くて自粛などの感染予防対策をしてやっと抑えられていると反論される方もいるかもしれません。
私は決して命を蔑ろにしろと言っているわけではありません。
では、ワクチンがあっても、毎年インフルエンザで1万人の死亡超過をするのに、なぜ現在のような感染予防対策の徹底がされてなかったのでしょうか?
命を大切にするなら、毎年冬ぐらいは、今のようなアルコール消毒とマスク必着はあっても良かったはずです。
もし今回の新型コロナをきっかけに、毎年冬ぐらいはアルコール消毒とマスク必着にしよう、というなら、少しでも命を大切にしたいという事で、少しは納得します。
しかし、コロナ禍が終わればそうはならないでしょう。
先程も問いかけましたが、これが、これで「緊急」と言えるのでしょうか?
もっとこの先、致死率10%を超えるような未知のウイルスが登場する可能性だってあります。
欧米諸国のように、ロックダウンもできず、新型コロナの死亡者も、例年のインフルエンザ死者や、同様に感染が減少して死亡者が減った事を加味すれば、「緊急」という言葉を使うことは、本当の緊急事態の時、良くない傾向だと思います。
主権制限は「軍靴の足音」が聞こえるのか?
欧米諸国で行われているロックダウンや人の隔離。
これは国民の主権制限につながるという事で、憲法違反という認識が政府にもあるようです。
そのために、要請ベースであったり、入国も完全には制限をつけられないという話です。
そしてこの主権制限の話になると、主に左翼系の人たちからは「軍靴の足音が聞こえる」というような、アレルギー反応があります。
「軍靴の足音が聞こえる」とは、左翼の言う戦前の軍国主義・全体主義への表現です。
したがって、特に共産党や立憲民主党などは、憲法改正に根強い反対、特には今回のようなコロナ禍に備えるための「緊急事態条項」には火事場泥棒などと強く反対しています。
メディアにも、そうした認識を持った方の意見が目立ちます。
まずはその前にやれる事があるだろう、政府は恣意的に運用してしまう、というのが主な反対理由です。
確かにその懸念も分かりますし、特にその前にやれる事は、昨今のグダグダな対策をみても同意します。
しかし、国家はイザというに時、国民の生命や財産を本当の意味で守るためにも、緊急時の主権制限は、しっかりと議論する必要があると、私は思っています。
何を制限して、何を制限しないか、そしてそれは現実的なのか?
こうした事を議論しない事は思考停止です。
ワクチンがなぜ日本で開発が遅れているのか?という話も出ましたが、これは軍事に直結する話であり、アメリカの予算とは比べ物になりません。
軍事に関する話は、日本では敬遠されがちですが、私は日本は戦後一貫して平和への歩みと貢献をしてきたと思ってますので、他国並みにこうした議論や制度、予算をつける事をするべきだと思います。
海外と比べたIT化の遅れ、あまり注目しない台湾の成果
日本の緊急事態宣言が、要請ベースとは言え、奇妙な成功と皮肉をした記事がありました。
日本は感染者数、死者数を抑えるといった成績に関しては、欧米諸国と比べて優秀なのは数字をみても明らかです。
一方で劣っていることも浮き彫りになりました。
それはIT化です。
デジタル庁が新設されるようですが、日本ではIT化が遅れているため、スピード感を持って政策が進められません。
去年の定額給付金の支給もそうです。
私はマイナンバーカードでオンライン申請しましたが、民間の入力システムと比べても劣っている部分がありました。
1つの例として、オンライン申請が二重登録可能な点です。
普通、2回目を登録しようと思えば「申請済みです」というメッセージが出ます。
しかし、発想がやはりお役所なのでしょうか?
これでは二重登録した人を排除するのに手間が発生してします。
こんなのはシステムなどと言えるでしょうか。
台湾では閣僚にITの天才であるオードリー・タン氏が起用されている事が、コロナ禍で日本でも話題になってます。
台湾の目指す国家の政策・意思決定スピード、システムは日本は太刀打ちできません。
またメディアはそうした台湾をあまり取り上げません。
中国を気にしているからと勘ぐりたくもなります。
ある日、突然感染者数が0になってってしまった中国を、台湾の代わりに優秀な国と褒める識者をメディアに出すくらいなので、仕方がないかもしれません。
高齢者のワクチン摂取予約がインターネットからも開始されました。
「高齢者がインターネットなどできるかい!」という、ごもっともな意見もありますが、日本のこのようなシステム構築の考え方では、高齢者の周りでサポートする人にとっても、使いにくくて仕方ありません。
私は元々システムエンジニアの端くれだったので、日本のIT事情があまり明るくないことが残念でなりませんが、デジタル庁が少しでもそうした事を改善してくれる事を期待したいです。
じゃあコロナ禍はどうすれば良かったのか?
21世紀初めて迎えた世界的なパンデミック、疫病との戦い。
どうすれば良かったのでしょうか。
結局は、私がこれまで批判してきた事の反対であると思います。
- 政府・行政はしっかりとした根拠を示し説明をすること
- メディアは公正中立の立場から、様々な意見や考え方、そして根拠を紹介すること
挙げればきりがないので、2つだけ挙げました。
この2つが守られていれば、政府やメディアに対する国民の信頼は上がり、それにより国家国民が一丸となって、問題に取り組めると私は思っています。
新型コロナは、当初考えられていたバタバタと死人がでる病ではありませんが、それでも警戒すべき事はかわり有りません。
ただ今回の騒動で一番心配になった事がありました。
それはこの先、もっとタチの悪いウイルスや、紛争などの非常事態に直面した時、政府は本当に国民の生命財産を全力で守ろうとするのかという点です。
期待はできそうにありませんが、コロナ禍の経験が生かされる事を願いたいです。